ものの出来の善し悪しと好き嫌いは全く違うものだという観点は、しばしば忘れられがちである。「ゲテモノ好き」とか「悪趣味」と言う言葉があるが、「客観的に見て出来はひどいけど俺は大好きだ」というものは、自分が思っているよりもずっと多い。何が言いたいかというと、他人の趣味にいちいちケチをつけるのはろくなもんじゃないということだ。特に、「人のゆがんだ悪趣味を矯正してやっている」なんて傲慢な考えが自分の中に巣食っていないか?
 

きょうのお料理ナビ(本当は土曜日に作ったのだが) 牛丼 ★★★☆☆

 カップやきそば現象という言葉がある。厳密にはその料理とは似て非なるものなのだが、それはそれとして一定の評価を確立しているものだ。焼きそばとカップやきそばは定義からして違う食べ物だが、それはそれで別物としてよく食べるという人は多いだろう。似たものにカニカニカマがある。カレーと肉じゃがも元をたどれば(戦前くらいまでか?)そういう関係だった。ちくわとちくわぶはちょっと違う気がするが、きりがないのでこのへんにしておこう。
 で、俺の感覚にそって言えば、普通の食堂や家で食べる牛丼と、チェーン店の牛丼もそれに当たる。肉の厚さどころかつゆの風味、香りから歯ごたえと、何から何まで別物の料理だと思う。チェーンの牛丼もあれはあれでよく食べに行くが、ちゃんとした牛丼を食べたい! という時には、もう自分でつくるしかないのが現実である。
 淡白な味わいの親子丼に比べると、こちらはやや甘口に仕上がっており、ちょっとすき焼きの割り下っぽいつゆになっている。うむ、これはいいつゆだぞ。しかし、今回はあまりいい肉を使わなかったせいで味はそれなりに落ちついてしまった。肉が硬かったのだ。でもまぁ、この手の料理は肉の質に大きく左右されるということがわかっただけでも良い収穫だったといえよう。次は欲張ってみる。……あるいは、豚丼に行ってみるのも手なのだろうか。
 

また別の日にもんじゃ焼きを作ったのだ ★★☆☆☆

 キャベツが余ってしまい、早急に消費する必要が出てきた。
 以前に作ったお好み焼きの応用でもんじゃ焼きを作れないか、と思ったが市販のもんじゃ焼き粉はどうも高い。で、ネットで調べたら普通に小麦粉と
ソースで作れるというじゃないか。ヘタに手を出さなくてよかった。そこそこ美味かったのだがしょせんもんじゃ焼き、小麦粉の量がお好み焼きに比べて大変少ないので食事にするにはツライ。おかずにもしづらい。おやつにするには重い。ああ中途半端。ついでに焼きそばでも作って量を増しておけばよかったのだろうか。
 ソースの味だけでは物足りないので塩コショウをしてみたらいい感じに。そういえば、小学生の頃、友達に誘われていった店ではカレー味のもんじゃ焼きを出していたっけな。今度あらためてやってみたいが、鉄板の始末が大変なのが難点だなこりゃ。