「はっきり言ってくれないなら、僕は君以外の人間を好きになれない」

00劇場版見ました。
細かいことは抜きにして、素直に楽しめるいい映画でした。
観終わったあとに確かな充実感がある。人それを感動と呼ぶ!

以下ネタバレ感想。
タイトルはGガン最終回に登場した妖精アレンビーにティエリアが似ていると思ったというネタです。ほんとおいしい位置に収まったなティエリア。親公認の彼女もできたし。問題は彼がそもそも人間の女に興味がなさそうだということなんだが。
さて、00は本来、「Gと∀は別格として」平成以降のシリーズで最高傑作になれる素質を秘めている、というようなことを先日書いたけど、まさかそのGと∀に真っ正面から立ち向かっていくとは思わなんだ。Wの劣化コピーからは見事に脱皮を果たしたな! EWっぽい始まり方をしたときはちょっと嫌な予感がしたけど!*1
とくにあの結末は、∀に対する回答としては十分満足のいくものになったんじゃないだろうか。∀劇中では「争いの絶えない地球を見捨てた人類が外宇宙へと旅だった」という描写がされていたけど、本当はこういう希望に満ちた旅立ちだったのかもしれないし、そう考えれば00も立派に黒歴史の仲間入りを果たせると思う。「人類の4割が〜」のくだりは種のコーディネイター設定を思い出させてそれはそれで新しい禍根を招きそうだけど、そうなったらメタルせっちゃんが頑張って対話を進めてくれることでしょう。*2
 

 
二時間に渡る壮大なフィナーレは、あたかも東方不敗暁に死してから最終回へと至る怒涛の展開を思い起こさせる。*3 Gガンとゼノグラシアの最終回を足したものにマクロスで味付けをしW風に盛りつけた感じ? こういう例え方が成立する点においては確かにあまりオリジナリティは無いと言えるかもしれない。敵もデザインも含めてありきたりだしね。しかもメインキャラに目立った葛藤や主張はないし、刹那がイノベイターとしての葛藤を抱えているという描写も取ってつけたようで、映画としてのテンポを逆に崩してしまっている。あくまでもフィナーレとしての作り方に徹しているといえ、それゆえに映画単品として評価すると厳しい評価が出るのは致し方ないだろう。ガンダムらしくないくせに陳腐だからな。だが敢えて言わせてもらおう! それがどうした、と! そもそも、放送開始時点でこんなにも熱い王道熱血少年漫画ストーリーが展開すると思っただろうか? 放送当初の期待とは違うけどある意味では期待以上の内容に仕上がった。ある意味でこの方向転換は正解だったといえるだろう。1期の地味な話も嫌いじゃないというか、むしろ好きなんだけど、映画でやるならこっちだよなぁ。美形キャラ目当てで劇場に来たと思われる女性ファンが呆然としているのを見て「わかったか! これが漢の燃えというものだ!」と一人で勝手にほくそ笑んだり。
 

 
リボンズやリジェネが策謀を巡らせていたソレスタルビーイング艦のサロンでコーラサワー夫妻がラブラブしているところを見ると実に感慨深いものがあります。昨日の敵は今日の友、は少年漫画の鉄則ですね。でも、サーシェスのような「地球人サイドにいながらにして、絶対にわかりあえない存在」というべきキャラを放り込んでいたらさらに物語に深みが増したんじゃないか、とも思ったんですよ。シャーマン大尉がそれに相当するキャラになる予定だったんかな? 話が複雑になりすぎるんでおそらくその辺はカットされたんでしょう。シャーマン大尉のキャラが薄いと不評ですが、そんな大人の事情があったんじゃないかと邪推。もうひとりの新キャラ、ミーナ・カーマインはネーナの別の可能性を示唆するキャラクターですね。ネーナにとっての不幸は、兄弟以外の人間とは誰とも信頼を結ぶことが出来ず、それが為に歪んだ倫理観を持つにいたり、それが数々の悲劇を生んだわけです。同じ遺伝子を持つ(と思われる)ミーナがビリーという理解者を得て幸せな生活を踏み出そうとしているのは象徴的でもあります。遺伝子が同じでも別の人間である以上それは当然なわけですが、それでもあえて彼女を出したというのは、あいつも分かり合える相手がいれば幸せになれたかもしれない、というメッセージを持たせたかったんじゃないかな。ビリーも元カノとの誤解によって人生を大きく狂わされたわけだしね。(おまけにすっかり女性恐怖症に……)
そして、男に恵まれないフェルトは……あの60年のうちに彼女なりの幸せをつかんだと思いたい。
人類の4割が覚醒し、中にはエルスと融合して飛躍的に寿命を延ばした人もいる中であえて老いたマリナを登場させたというラストは物議を醸すというか、制作者の釣りっぽくてアレなんですが、あえて波紋を使わずに老いていったジョセフ・ジョースターのような気の持ちようがあったんでしょうかね。いやジョセフの場合は単に作者が忘れてただけらしいんですが、ガンダムでそういうことをやるというのは「オールドタイプとしての存在意義」というものにも関わってきますから、それなりに考察してみたい部分ではあります。種にせよ攻殻機動隊にせよナデシコにせよ、ただの人間としての人生を全うしてぇ人間としては、あえて素の人間としての生き方を貫いたマリナの存在は貴重ですし、その彼女の前に超生命体となった刹那が現れるラストは非常に美しい。
 

 
黒田脚本の常として「さんざん盛り上げておいて、思っていたよりオチが単純」というのがあるんだが、そういうところも含め、確かに2010年の今やるにしては陳腐な内容だし、死に設定も少なくないんで、細かいことを気にする人にはおすすめできないかもしれない。オチがシンプルでもそこへ至る過程をうまく描けていれば、Gさえも超えられる器だったんだろうな。返す返すも1期の世界設定を生かしきれなかったことや、キャラクターを一度に出しすぎて焦点がブレてしまったことが悔やまれる。
でも少なくとも、これだけ評価が二分されている中で楽しめた側に入れたことを幸せに思いたいな。

*1:Wの名誉のために言っておくが俺はWが悪い出来だと言っているわけではない

*2:対話対話言ってるとどこぞの偽宗教を思い出してしまってトホホな気分ですが、その手の団体とは一切関係ありませんぞ。

*3:「師匠死んだらあとは見るな」などとのたまった土田は所詮エセガノタ。あのフィナーレがあってこそのGガンだ!