風来のシレン終了のお知らせ

http://www.famitsu.com/fwtv/?61212994
 ドワンゴ死ね
 氏ねじゃなくて死ね

少し落ち着いてみることにした

 怒りのあまり罵詈雑言を書き連ねたがちょっと我に返ったので書き直し。
 よくよく考えてみれば、「トルネコの大冒険3」以降ずっとこの路線で来ているということは、こうしたほうが実際よく売れるということなのだろう。ポケダン2の予約を何件も受け付けた身としては、事実としての数字がある以上、受け入れるしかあるまい。それに過去のシリーズだって最終ダンジョンまではずっとガマンしてプレイしてきた身だ。それがちょっと増えたぐらいでブツブツ言うのも大人気ない。
 ただ、シレンを軽薄で軟弱なゲームにして欲しくないという思いはずっとあるし、消えるはずもないので、あえて書く。
 風来のシレンというゲームはもともと、「死んだら何もかもを失う」という厳し〜いルールの下に成り立ってきたゲームだ。死ねば持ち物はすべて剥ぎ取られ、レベルは1に戻り、次に挑戦するときは手に入るアイテムは全く別のものに変わっている……死に対する絶対的なプレッシャー、極限までの緊張感があるからこそ、そこに面白さが生まれる。だからプレイヤーは何度もゲームオーバーを繰り返すなかから得た教訓を武器に、頭をフル回転させて難局を切り抜けていく。そこにカタルシスがある。そこで保険が利いちゃったら面白みが半減してしまうとのではないか。
 まあ俺は最終ダンジョン(アイテム持込不可・レベル1からスタート)以外やらないからいいんだけど。
 ただその最終ダンジョンにしても、バランス面での不安は残る。トルネコ3の最終ダンジョンは酷かった。トルネコ3はレベル継続システムを前提にバランス調整してある。死んでもレベルが下がらないぶん、いつもの数倍レベルアップに時間がかかる仕様だ。これを、そっくりそのまま、死んだらレベルが下がるダンジョンに持ってきたものだから、トルネコ3の最終ダンジョンは、とてもじゃないがまともに遊べる代物ではなかった。あれ以来、俺はチュンソフトという会社を信用していない。今度こそバランスをしっかり取ってくれればいいけど、ドワンゴ傘下の今ではかなり厳しいもんがあるといわざるを得ない。携帯電話版は仕方ないにせよ、DS版もあまり褒められたバランスではなかった。アスカは外注であるにもかかわらず奇跡的なバランスを実現したので、そこに期待するしかないだろうか。
 あともうひとつ心配なことがある。ライトユーザーを重視して、難易度を下げよう下げようとするあまり、ゲームの根本的な部分が揺らいでしまう恐れがあるということだ。
 先のトルネコ3の問題に関しても、だったらレベルの下がらないほうのダンジョンをプレイすればいいじゃないか、という意見もあると思う。ただ、そっちのルールだと、ゲームの本質的な部分が変わってきてしまう。
 シレン(というかローグライク全般)は麻雀に近いゲームである。どんな牌(アイテム)を拾ってくるかは運に左右される部分が大きいが、そのなかでどの牌を切る(アイテムを使う)かは完全にプレイヤーの腕次第なのである。だからその時々の状況や、将来を見据えた戦略を練りながら、最善の手を尽くす。これが成立するためには、ある程度のランダム要素がなければゲームとして成り立たないのだ。いつも同じアイテムが手に入るなら、いつも同じ行動を取っていればよいからだ。思いもよらぬアクシデントによって発生した最悪の状況、手元にはあまり役に立たなさそうなアイテムしかない……さあ、どう生き残る!? シレンをやっていてもっとも緊張する瞬間であり、このゲームの醍醐味だ。シレンというゲームを語るとき福本伸行の漫画のパロディが良く使われるが、まさにああいう緊張感のもとに成り立つシステムだ。レベル継続やアイテム持込可といったハンデキャップは、こうした緊張感を殺してしまう。たとえ死んでも「もっとレベルを上げれば(装備を鍛えれば)勝てるだろ」という態度では、プレイヤーの腕前は上達しない。それはこのシリーズのキャッチコピーである「プレイヤーが成長するRPG」と矛盾することになる。
 単純にコンセプトだけの問題ではない。プレイヤーの腕前が上がらないということは、ほかのゲームを遊ぶスキルも身につかないということである。つまり、二本先、三本先のソフトを買ってくれるかどうかもわからなくなるということでもある。 プレイヤーを教育することを捨てたゲームに未来はない。シューティングや対戦格闘ゲームがいい例だ。リズムゲームは難易度を細かく区切ることでユーザーの多様化に何とか対応した。シューティングもようやくそれに気づきだしたようで、オトメディウスのように自分で難易度やコースを設定できるゲームも登場してきている。対戦格闘ゲームは環境が整わないと難しいだろうが、せめて従来の一人用モードだけでも、COM対戦だけでなく操作のイロハをイチから教えてくれるモードを是非搭載して欲しいものだ。それは単純に難易度を引き下げたものよりも、はるかに効果があるだろう。
 また、シレンもそうあって欲しいと切に願う。装備を鍛えまくり、レベルを上げまくって強引にクリアするだけのゲームではあって欲しくない。絶体絶命の状況から頭をフルに回転させて危機を脱する、そのカタルシスを味わえるようなプレイヤーに成長できるゲームであって欲しい。シレンはエンディングからが本番なのだ。
 俺は最終ダンジョンだけ遊ぶからいいや、と書いたが、もうひとつ不安がある。それは全体的なイベント量のバランスだ。シレンDSの新規追加ダンジョンはアイテム持込を前提にしたものだった。プレイヤーの腕前ではなく、単純に装備の強さだけでクリア可能かどうかが決まるようなバランスのゲームだった。俺はそこに何の魅力も感じなかった。操作の基本を覚えるまでの段階では持込可、レベル継続でも良いと思っているが、それが身についた(ゲームとしての本番が始まる)段階にいたってまでそれを続けるのはまずいのではないだろうかと思ったからだ。今までのシリーズにも、鍛えたアイテムをもって挑戦する特殊なダンジョンは存在していたし、その面白さも十分理解している。しかし、ほとんど代わり映えのしないダンジョンをを三つもDS版で持ってこられたときには、頭を抱えてしまったのも事実なのだ。
 何度も繰り返すが、シレンが持つ独特の緊張感は、保険がある状態では成立し得ない。最終ダンジョンこそが本番であるからこそ、その最終ダンジョンのなかでこそ上級プレイヤーまで成長できるような設計であって欲しいと切に願う。
 
長々と書いたが、こちらの
http://d.hatena.ne.jp/flunky/20080117

 まあでも正直な話、レベル継続制なんて愚の骨頂だと思う。「レベルを上げて、アイテムを準備してダンジョンに潜る」という図式はもうゲーム性の根幹が違う。ダンジョンRPGというジャンルが誤解を生んでいる気がする。ライトユーザのことも考える必要があるのは判るけど、レベル継続制は解決策になっていないのでは。

というところに俺の愚見は収束されるのである。