せっかく書いてたのに記事消えちゃったバカン;;

 自分のあまりのヘタクソさ加減にくじけそうになった。こういうときは、クソゲーの仕様書を見て、おバカなアイデアを書き込みまくって、いまだ見ぬ完成図を妄想するのだ。うん。
 企画書なんてご大層なもんではない。あくまでも仕様書。だって、企画といえるほどオリジナリティに満ち溢れているモノでもないし、誰かに認められるために書いているものでもないからね。
 せっかく作るんだから、ワクワク感を大事にしたいね。おし、やる気が出てきたぞ。
 クソゲークソゲー言っているけど、俺だって少しは自分の作っているものをおもしろいものにはしたいさ。ただ俺の場合、「世の中の誰も見たことの無い、すんごいモノを作ってやる!」という風に思うと、思いつめて何も作れなくなってしまうのが、過去の経験からわかっているので、「とりあえず、いま自分のできるせいいっぱいをやろう。それをおもしろくする方法は、作りながら考えていけばいい」という気分を持って臨みたいから。人間リラックスが肝心ですよ、と。
 

シナリオに関してはカラッキシなおいらですが。

 おいらは文学は大の苦手なので、エンタテインメントという側面からしかシナリオを語ることはできないのですが。
 ゲームのコンセプト(システムの核)とテーマ(シナリオの核)が乖離してしまうと、おもしろくなくなっちゃうような。マリオに「俺はどうして戦っているんだ!」とか言われても、困るし。(それはそれで面白いが。それをネタに一本シナリオを書いてみると、なかなかいいゲームになるかもしれない。ちょっとメタっぽいけど)
 ゲームがインタラクティブなメディアである以上は、一般に映画や小説などで優れているとされるシナリオをそのまんまやっても、うまくいかないように思うのですよ。じゃあどうするよ、といわれても、言葉ではあまりうまく説明できないのが俺の無能たる証明なのだけれども。
 ただひとついえるのは、ゲームのシナリオとは、セリフとかト書きとか、キャラクターとかによってのみ構成されるものではなく、画面から映し出されるモノ、プレイヤーが感じ取ったモノすべてがそうなのだ、ということ。
 「映画のようなゲーム」という言葉が冷笑を持って迎えられるようになって久しいが、「小説のようなゲーム」も、それはそれで問題だろう。