過去を思い出してグチる。かなり痛い発言込み。要注意。

 小学生のころから作文というやつが嫌いだった。はじめの一文を書くのに五時間かかるなんてのはザラだった。書くことにものすごくこだわる頑固な小説家タイプだったのではない。なーんにも書きたいことがなかったのである。
 本来書きたい題材もクソも持ち合わせちゃいないのに、無理やり書きたくもない文章を書かされて、おまけに点数までつけられるというのは、俺にとっては我慢のならないことだった。それは俺の内面、俺の人格そのものに点数をつけるような行為だと思っていたからだ。たとえば夏休みの日記。このはてなダイアリーみたいにおバカな日常をありのままに書けばよいなんて発想はなかった。本当は自堕落な日々を送っているくせに、いかに模範的な生活を送って健やかにすごしているか、先生に見せなければならないと思うと、即座に原稿用紙を破り捨てたくなった。というか、実際破り捨てたし、日記はほとんど提出しなかった。だって、本当にわざわざ文章にするまでもない生活だったし、そんなもんを正直に書いて「あなたの日常はつまらないですね」と言われるのも嫌だったのだから。だから提出した作文も見本を改変もせずにコピーしたような、誰が読んでもつまらない文章を、必要字数ピッタリに無理やり合わせた、自分で見ていても腹の立つ代物にしかならなかったのだ。
 特に読書感想文なんてもんはなんで未だに夏休みの課題として押し付けられるのかまったく持って理解できなかった。文部省推薦だかなんだか知らんが、高尚らしいんだけれどもちっとも面白くもなんともない文章を、どう褒め称えろって言うのか、俺にはまったく考えも及ばなかったのだ。世間は名著だというのだから、俺も褒めなければいけない……そーいうプレッシャーに、見事すぎるくらいに押しつぶされてしまったのである。今にして思えば「この本はクソだ! これこれこーいう理由で俺はこの本を壁に投げつけたあと廃品回収に出した!」とか書いていればよかったのだろう。けれども、当時かなりの問題児だった俺はそれ以上腫れ物みたいに扱われるのがイヤだったので、やっぱり提出しなかった。だから、国語の成績はいつもテストの成績よりいっこ下だった。
 小学校高学年のあるとき「学校のボランティア活動についての作文を書きなさい」という課題が出た。いつもどおり何にも書きたいことがなかった俺は、先生に褒められるような文章を書こうとしてウンウンうなるのはもう嫌だったので、近所のゴミ拾いをネタに「世の中リサイクルリサイクル言ってるけど平気でその辺に缶捨ててなに偉そうなこといってんのよ」というようなことをテキトーにおもしろおかしく書いた。そしたら、なんと地域の子ども作文コンクールに入選してしまったのである。しかも次回のコンクールのポスターに作例として載ってやがんの。親父は大喜びで、「会社の同僚も『こりゃすごい、小学生の書く文章じゃない!』と絶賛してたよ!」と。親父は今でもあの頃の話を持ち出して「お前はこんなやつじゃなかったのになぁ」なんて言ってくれますが。
 これでさくらももこみたいに文章書くのが大好きになって、そのまま作文大好き少年になっていればよかったのだが、俺はむしろ作文がますます嫌いになった。
 だってさ、あんなのは新聞の投書欄やら天声人語(うちは読売なので編集手帳なのだが)やらに載ってた文体ベースにテキトーに一時間で書いた内容ですぜ。そんなので賞が取れるんだったら、それまでの一行書くのに五時間かかって、しかも出来上がった文章はクソつまらねえというあの苦労はなんだったのさ。俺は「いい文章」というものが、本気でわからなくなった。今でこそこうやってインターネットの片隅でくだらない文章をノリノリになって書いているが、そのころ、小学校高学年ぐらいの俺の精神状態はかなり逝っちゃってたので、本気で参ってしまったのである。今でも文章の躁鬱が激しいのはそのためだ。たぶん。
 
 俺がアニメを作っている理由もその辺にあるのかもしれない。高尚なモノが大嫌いになってしまった身体ゆえ、いわゆる芸術作品は作れない。神山版攻殻機動隊は面白いが押井守は死んでしまえと思う性分なのだ。誰にでもわかりやすく、面白く、適度にくだらない。でも、一篇見終わると心の奥底に何かその後の人生においてタメになるような種がひっそりと植えられている。それが俺の理想とするところなんだけど、まあ、そんなのを作るのにはパワーが足りないよなぁw

 あー、俺かなり天狗になってんな。何様だ俺。いや俺様だけどさ。
 三日ぐらいして読み返したら鼻血出しそうな文章だな、あまりの痛さに。